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    March 14

    宫本武藏《五轮书》 地之卷二

      第二章、二天一流

      【古代日语】


      五つの道をわかち一巻々々にしてその利を知らしめんがために『地』『水』『火』『風』『空』の五巻として書顕すなり、第一『地の巻』 兵法の道の大体、我が一流の見立、剣術一通りにしては誠(真理)の道を得がたし、大いなる所より小き所を知り、浅きより深きに至る直(なおす)になる道の地形を引均(ならす)すによって初を『地の巻』と云ひ名付くなり、
      第二『水の巻』 水を本(規範となるもの)として心を水になすなり、水は方円の器に従ひ一滴となり滄海となる、水に碧潭(あおみどり色をたたえた深い淵)の色あり、清き所を用ゐて一流の事を此巻に書顕すなり、剣術一通りの理〔法則〕定かに見分け一人の敵に自由に勝ときは世界の人に皆勝つ所なり、一人に勝と云ふ心は千万の敵にも同意なり、将たるものゝ兵法小さきを大になすこと尺の金〔1尺分の金属〕を以て大仏を建るに同じ、一を以て万を知ること兵法の利なり、一流(我が流)の事此水の巻に書しるすなり、
      第三『火の巻』 此巻に戦ひの事を書しるすなり、火は風に随て大小となりけやけき(わかりやすい)心有(物の道理)によって合戦の事を書なり、合戦の道一人と一人との戦ひも万人と万人との戦も同じ道なり、心を大きくなし意を小さくなして(大極をみて、小さな事にも気を使い)能く吟味して見るべし、大いなる所(大極)は見え安し、小き所は見えがたし、其仔細多人数の事は即坐にもとおりがたし、一人の事は心一つにて変る事早きによって小き所は却て(それに反して)知り得がたし、能吟味あるべし、此火の巻の事早き『間』の事なる(瞬間の間によって決まる)によりて日々に手馴れたる『常』思ひ心の替らぬ所『平常心』が兵法の肝要なり、しかるによって戦ひ勝負の所を火の巻に書顕すなり、
      第四『風の巻』 此巻を風の巻としるすこと、我が(二天)一流の事にはあらず、世の中の兵法其流々の事を書のする所なり、風と云ふに於ては昔の風今の風、其家々の風などあれば世間の兵法其流々のしわざを定かに書顕はす是『風の巻』なり、他の事を能く知ずしては自のわきまへ成がたし、日々に此道をつとむると云ふ共心背きては其身は善しと思ふとも、直ぐ成る所より見れば実の道にはあらず、実の道を究めざれば始め少しの心の歪みも後には大にゆがむものなり、物事に余りたるは足らざるに同じ、よく吟味すべし、他の兵法が剣術ばかりと世に思ふこと尤(とがめる)なり、我兵法の利、わざに於ては各別の儀(ともかくとして)なり、世間の兵法を知らしめん為に風の巻として他流の事を書顕すなり、
      第五『空の巻』 此巻空を書顕すこと、既に空(仏語。天地間の一切の事物はすべて因縁より起こる、物ごとの道理が解らず?真っ白の状態を”空”と思うのは誤解、朝夕務め?自然にリズムにあった動きが出来る状態が”空”)と云ふ時は何をか奥(奥義)と云ひ口(入り口)と云はん、道理を得ては道理をはなれ(道理にこだわらず)、兵法の道に自然と自由有て自然と奇特 (神仏などの不思議な力)を得、時にあひては拍子を知り、おのづから打、おのづからあたる事是皆空の道なり、自然と実の道に入事を空の巻にして書とゞむるものなり、

      【现代日语网络版】

      法を五つの道に分けて、巻ごとにその概要を書き、地、水、火、風、空に分け、五巻として表すものである。
      地の巻においては、兵法の道のあらまし、我が流の見方を説いている。剣術だけをやっていては,本当の兵法の道を得ることはできない、大きいところから小さいところを知り、浅い所から深いところに至る、まっすぐな道を思い描くことになぞらえて、最初の巻を地の巻と名付ける。
      第二は水の巻である。水を手本とし、心理を水に映す気持ちである。水というものは四角い容器にも、丸い容器にも従って形を変えたり、1滴ともなり、大海ともなる。水には青々とした深い淵がある、その清らかで、理解しやすい部分から我が一流の事をこの巻に書き顕す。剣術の道理を理解すれば、1人の敵に自由に勝ち、世のすべてに勝つこともできる。1人に勝つということでは、1人の敵であろうと、千万の敵であろうと同じことである。将たる者の兵法では、小さいことから大きいことを洞察する。一尺の金属から大仏を建立するのと同じである。このようなことは、細かく表現できるものではない。一を以って万を知ることが、兵法の道理なのである。我が一流のことをこの水の巻に表す。
      第三は火の巻である。この巻では戦いのことを書く。火は、大きくなったり小さくなったりする。それになぞらえて戦いのことを書くのである。戦いの道は、個人と個人との戦いも、集団をもっての戦いも同じである。こころを大きくして、細部に注意を向け、よく研究してみなければならない。
      ただし大きなところは見えやすく、小さいところは見にくい。というのは多人数でやることは直ちには戦術を転換できない。1人のことは、個人の心ひとつですぐ変わるから、小さいところがわかりにくい。こうしたこともよく研究することである。
      この火の巻に書き表したことは、瞬間的に決まることであるから、日々に習熟して、平常心で向かえるように、心が動揺しないことが兵法の究所である。こうしたことから、戦い、勝負のことを火の巻として書き表す。
      第四は風の巻である。この巻では、我が一流のことでなく、世間の兵法について各流派のことを書く。風というのは、昔風とか、今風とか、それぞれの家風などのことである。世間の兵法について、各流派の本質を書きあらわすのである。これが風である。他流派の本質をよく知らなければ、我が兵法の道を体得出来ない。道の鍛錬をして行くのにも、外道という事がある。自分では上達する道を行っていると思っても、本当の道ではない、間違った道を行くと、始めの少しの歪みが、後には大きな歪みとなるのである。調べるべきことである。他流派の兵法では、剣術を極めれば兵法が極まると思っているようだ。もっともだが誤りである。我が兵法の剣術の理と技においては別格と考えて貰いたい。世間の兵法を知らしめるために、風の巻を書き表すものである。
      第五は空の巻である。この巻を空の巻と名付けるのは、他流が奥とか口とか、口幅ったく言っている事の本質を一口で言い表すためである。他流は道理をつかんだ積もりでいて、本当の道理から離れている。兵法の道とは、(空の状態で)自然に自由があり、自然に素晴らしい力を得、時期が到来して、拍子を知り、自然に打ち、自然に当たる、これがみな空の道である。自然に実の道に入る事を空の巻に書き留める也。

      【汉语网络版】

      在这五卷书里会写到关于兵法的不同方面,它们是地之卷、水之卷、火之卷、风之卷和空之卷。

      在地之卷里我将解释一下我的二天一流。很难相信击剑者会悟到真正的奥义。在这卷里需要了解最微不足道的事、最举足轻重的事、最肤浅的事和最深奥的事,就如同在苍茫大地上勾勒出清晰的路径一样,所以这卷书叫做地之卷。

      第二卷是水之卷,水乃是人心之根本。人的精神要如同水一般,水可以随容器的形状改变自己,有时候象小溪般潺潺流动,有时候却象是怒吼的大海。在这卷书里,就要解释二天一流如水般清澈明净的这种特性。

      如果你已经精通了剑法的精髓,当你随意攻击别人时,你就能击败这世上任何一个人。击败一个人的技法和击败十万人时没什么不同,兵法家可以小中见大,就如同按照一寸高的木俑可以雕刻出极大的佛像一样。我无法用文字来说明这具体是如何实现的。兵法的精髓就在于触类旁通,举一反三。在水之卷中我将讲解在二天一流中的这些意义。

      第三卷是火之卷。这卷书是讲剑斗。火的特性就是凶猛,不管火焰是大是小,这非常适合于战斗时。你必须确保斗志能够随心所欲地能大能小。什么是大很容易察知,但什么是小就很难觉察了。简而言之,敌人数量越多位置就越难做大的改变,所以他们的行动可以轻易察觉。一个人可以轻易地改变他的心态,所以他的行动很难被知晓。你必须要知道这点。这卷书的精髓就是将诡谋的训练作为日常生活的一部分,因为这卷书将描述在战场上的格斗技法。

      第四卷是风之卷。这一卷将不只谈到我的二天一流,也会涉及到其他的各种流派。我的意思是风意味着古老的传统,当今的传统以及兵法的系统。因此我会很清楚地讲解世间的兵法。这是传统,如果你不了解其他流派,你将很难了解自己。所有的路都有岔路,如果你每天学习剑道,但你的精神却走向岔路,你也许会以为你还在正路上走着,但是实际上完全偏离了。如果你追随正道并且稍有偏差,这个偏差将会逐渐变大。你必须知道这些。这样的兵法家不过是一介击剑者,我这么说并不过份。我的二天一流的真意——虽然它也包括击剑——是基于与众不同的原则。我会在这卷书里解释其他流派对兵法的定义和理解。

      第五卷是空之卷。“空”就是意味着无始无终。悟道即非悟道。兵法之道就是自然之道。当你重视自然的力量时,你就会体察到大自然的韵律,你就能够非常自然地击剑,打击敌人。在这卷书中,我打算说明怎样经由自然之道而追随剑术正道一途。


      武士们,无论将军还是士兵,都在腰带里缚着两把刀。在古的时候把这叫做直刀与刀,如今则叫做刀与太刀。无论理由是什么,总之一个武士携带着两把刀才算是符合武士之道。

      枪与薙刀是出门时才带的武器。

      二天一流从一开始就应该训练双手握住刀与太刀。当你视死如归的时候,你必须充分利用你的武器,这就是真理。不这样做是错误的,即使牺牲时也不可以放开你的武器。

      如果你双手握刀,很难左右运用自如,所以我的办法是一只手握刀。这对枪和薙刀等大型武器不是很适合,但刀与太刀却可以被一只手轻松运用。当你骑马在坎坷不平的路上、沼泽地里、泥泞的麦田中、崎岖的山路或者拥挤的人群中奔跑时,双手握刀会很令人烦扰。双手握刀并不是正确的选择,因为当你用右手拿着弓箭、长枪或者其他武器时,你就只剩下一只手来握着刀。然而很难用一只手握刀的力量去砍倒敌人,你必须用双手。其实想要一只手熟练地运用刀并不是很难,训练的方法是使用两把刀,每只手一把。看起来虽然一开始很难运用自如,但是事实上万事都是开头难。开始学时弓箭也不好射,长枪也不好握。当你逐渐熟练以后这些武器的控制就会变得很容易。当你习惯于运用刀,你就会得到刀中所蕴涵的力量,到时候自然运用太刀也就变的很简单。

      在第二卷水之卷中,我会告诉你们运用刀的熟练技巧没有速成的途径。刀的运用讲究大开大阖,太刀的运用讲究严密审慎,这些都是首先应该了解的事。

      运用二天一流,你可以用长兵器制胜,也可以用短兵器制胜。简而言之,二天一流之道就是必胜之道,无论用什么武器,无论武器的长短。
      当面对群体敌人时,双刀要比单刀要占更多的优势,尤其是当你要抓一个活口时。

      这些事没办法做更为细致详尽的说明。触类旁通,举一反三。当你真正领悟到兵法的精髓时,就没有一件事你不能明了。所以你必须用功才行。

    【日语网络版注】

      奈良本辰也、五輪書入門より『物事の道理がわからなくなったところを”空”だとしているようだが、これは本当の空などではなく、ただの迷いこころにすぎない。武士たるものは、兵法の道をしっかりと体得し、その他の武芸を良く学び?武士としての正しいありかたについてよく心得、心迷わすことなく、朝に夕につとめ、心、意の力を養い、観、見の二つのちからをみがき、迷いの雲を抜け出たところこそ真の"空”なのだと悟ら無ければいけない』空に対する私の解釈一番適格な動きが必要な”体”にも,状況分析を瞬時にする”心”にも、朝鍛夕錬に依って情報が詰まっていて、必要に応じて一番適格な情報を取り出し得る。それらの過程が瞬時に行われる。戦いでは、それらの情報処理の遅れが死に繋がる。身も心も、情報に満ち満ちていて、なお且つ適格な情報の処理がスムースに行われる状態を”空”といっていると思う。

    March 13

    宫本武藏《五轮书》 地之卷一

      第一章、兵法之道

      【古代日语】


      漢土和朝までも此道を行ふものを兵法の達者と云ひ伝へたり、武士として此法を学ばずと云ふ事あるべからず、近来兵法者と称して世を渡る者あり是は剣術一通りの事なり、近年常陸国鹿島香取の社人ども明神の伝へとして流々を立て国々を廻り人に伝る事近き頃の儀なり、古より十能六芸とある内に利方と云ひて芸にわたると云へ共既に利方と云へば剣術一通りに限るべからず、剣術一篇の利までにては剣術も知りがたし、勿論兵の法には叶べからず、世の中を見るに諸芸を売物にしたて我身を売物のやうに思ひ、諸道具に付ても売物にこしらゆる心、花実の二つにして花より実の少き所なり、取分け此兵法の道に色をかざり花をさかせ術をてらひて或は一道場或は二道場など云て此道ををしへ、又此道を習ふて利を得んと思ふ事所謂なま兵法大疵の本とは是なるべし、凡人の世を渡る事士農工商とて四つの道あり、一つには農の道、農民は色々の農具を設け四季転変の心得暇なくして春秋をおくる事是農の道なり、二つには商の道、酒を造るものは夫々の道具を求め其善悪の利を得て渡世と為す、何れも其身々々にかせぎ其利を以て世を渡る事是商の道なり、三つには士の道、武士に於ては様々の兵具を拵らえ、一々兵具の徳を弁へたらんこそ武士なるべけれ、兵具をも嗜まず其具々々の利をも覚えざる事武家のたしなみの浅きもの歟、四つには工の道、大工の道に於ては種々様々の道具を匠み拵らえ、其具々々を能つかひ覚え、矩を以て其差図を糺し、暇なく其わざをして世を渡るなり、是れ士農工商四つの道なり、今兵法を大工の道にたとへて云ひ顕はすなり、大工は大いにたくむと書くなれば兵法の道も大いなる匠みに依て大工に云なぞらへて書き顕はすなり、兵法を学ばんと思はゞ此書を思案して師は針、弟子は糸となって絶えず稽古あるべき事なり、
      大将は大工の頭領として天下の規矩(さしがね)をわきまへ其国の規矩を知る事頭領の道なり、大工の頭領は堂塔伽藍の墨金 (さしがねを使って木材に墨をする技術)を覚え宮殿楼閣の差図を知り、人々をつかひ家を取建ること大工の頭領も武家の頭領も其義同じことなり、家を建るに木配りをする事直(まっすぐ)にして節もなく見つきの宜(よろしき)を表の柱とし、少し節有りとも直につよきを裏の柱とし、縦ひ少し弱くとも節なき木の見様よきをば敷居鴨居障子とそれぞれにつかひ、節有りとも歪みたりともつよき木をば見分け能く吟味して使用するに於ては其家久しく崩れがたし、又材木の内にしても節多く歪みてよわきをば足代(あしば)ともなし後には薪木とも為すべきことなり、頭領に於て大工をつかふ事其上中下を知り、或は床廻り或は戸障子、或は敷居鴨居天井以下それゞゝにつかひて、悪きには根太(床板)はらせ尚悪きには楔を(くさび、物を割ったり、広げたりする)削らせ、人を見わけてつかへば其捗行(稲を植えたり刈ったり、また、草を刈ったりする時などの分担範囲。)手ぎわ善きものなり、捗行き手ぎわよきと云所、ものごとに気をゆるさざること大勇なり、気の上中下を知ること、勇みを付ると云事、無体(体系的でないこと)を知ると云ぐ事、斯様のこと共頭領の心持にある事なり、兵法の理亦斯のごとし、
      士卒は恰も(あたかも)大工にして、手づから其道具を磨ぎ、いろゝゝのせめ道具をこしらえ、大工のはこに入て持ち、頭領の云付る所に従ひて柱虹梁虹(にじ)のように上方にやや反りを持たせた梁(はり)。東洋建築特有のもので、多く彫刻や色彩が施してある。をも手斧にて削り、床棚をも鉋(かな)にて削り、透しもの彫り物をもして能規矩を糺し、すみゝゝまでも手ぎわよく仕立る所大工の法なり、大工の業手に掛けてよく仕覚え、墨金をよく知れば後は頭領となる物なり、大工の嗜み宜きものは道具をば常に磨くこと肝要なり其道具を取て手棚、机、又は行灯、爼板、鍋の蓋までも達者にする処大工の業なり、士卒たるもの亦此ごとくなり、此道を学ばんと思はゞ書顕す所の条々能く心に入て吟味あるべし、

      【现代日语网络版】

      漢土和朝までも此道を行ふ者を、『兵法の達者』と云ひ、云い伝へがある。本来,武士として、此法を学ばずと云ふ事あってはならない。、最近、兵法者と称して世を渡る者あり。是は剣術では大方そうである。常陸国鹿島や香取の社人どもが”明神の伝へ”と称して流派を立て、国々を廻り、人に宣伝しているのは最近の流行である。古より十能六芸と流行芸があり、その中に利用便法とか、奥義とか、芸全般に通ずる利方があるとか宣伝している。剣術全般にかぎらず、剣の技術にまでそのようなものがあるとは、剣術とはそのように簡単に身に付くものか?無論兵法とは、そんなに簡単に身に付くものではない。世の中を見ると、芸を売り物にする武芸者がいる、諸道具についても利用便法付きで売り出している。花はあるが、実がない。とりわけ兵法の実をについての講釈が無いのだ。方法論を華やかな言葉で飾りたて、利用便法にして『わが道場では短い太刀の素晴らしい使い方を』、あるいは、『わが道場では長い太刀の素晴らしい使いかたを』と大声で宣伝している。うっかり習って、その利方を身につけでもしたら、『生兵法は大怪我の元』という結果になってしまう。
      おおよそ、人の渡世に士農工商の四つの道がある。ひとつには農の道、農民は色々の農具で四季に合わせた作物を作る。二つには商の道。酒を作ったりして、醸造に適した道具を見つけ、その利を生かしている。それぞれがそれぞれの道具の利を生かして稼いでいる。三つ目に強調したいのは武士の道である。武士に置き換えて言うと、兵具が農具、道具にあたる。兵具をそろえ、兵具の利用便法を身につけ、大工が物差しで図面の確認をするように、寸暇を惜しんで、兵具の利用便法マスターする。
      これこそ士農工商それぞれの道である。
      これから、兵法の道を大工の道に喩え、書きあらわす。大工はおおいに工むと書く。兵法の道も多いに巧むが肝要であるので、大工に喩える。兵法を学ぼうと思うものは、この書の趣旨をよく思案して、弟子は糸だと思って(針の)師につながり、続く気持ちで絶えず稽古に励げめ。
      大将は大工の棟梁と同じ。天下の尺度をわきまえ、国家の尺度を糾し、家の尺度を知るのが棟梁の道である。大工の棟梁は堂塔伽藍の尺度を覚え、宮殿楼閣の図面を知り、人々を使って家を建てる。それは大工の棟梁も武家の頭領も同じである。家を建てるには木を配り、まっすぐで節がなく、見かけの良い材木は表の柱とし、少し節があり、それでも真っ直ぐな木は、裏の柱とし、多少弱くても節がなく美しいのは、敷居、鴨居、戸障子などとし、節があって歪んでいるものは、その木の使い方を考察し、木をよく吟味し使用すればその家は長持ちする。材木の中でもフシが多く歪んでいて、弱いのは足場にでも使い、後には薪にでも使うのがよい。棟梁が(人手)大工を使うにあたっては、腕前の上中下を知り、あるいは床回り、あるいは戸障子、あるいは敷居,鴨居、天井というように、それぞれに応じて使い分け、腕の悪いものには根太をはらせ、もっと悪いものには楔を削らせるなど、人(大工)を見分けて使えば仕事の能率が上がって、手際よく行くものである、仕事のはかがゆき能率がよく、妥協が無く、余裕があって、人の仕事に使う神経の上中下を感じ、(時をみて)励まし、無理(押し付けない)を知る。こうした事を心得ているるということを、棟梁としての心得があるというのである。兵法の道理もまたこの様なものである。
      兵卒は大工である。自ら道具を研ぎ、いろいろな金具のタガをこしらえ、大工箱に入れて持ち、棟梁のいいつけを聞いて、柱、梁を手斧で削り、床、棚を鉋で削り、透しものを彫り、規矩を糺し(寸法をただす)、手のかかる隅々まで立派に仕上げるのが大工である。図面の上でデザインし、自らの手にかけてその仕事を終える。それから、大工の下心得はよく切れる道具を持ち、暇をみてこれを研ぐことが肝要である。その道具を使って棚、机、又は行灯、爼板、鍋の蓋までも器用に工作するのが大工である。吟味しなければならん。大工の(基本的な)心得は仕事が後になって歪まないこと、止めを合わせること、カンナで上手く削ること、磨り減って使い物にならないような物を作らない事。これが肝要である。兵法の道をを学ぼうと思うならば書き記したことども、一つ一つ念をいれて、よく吟味しなければならない。

      【汉语网络版】

      在中国和日本,道的鼻祖被称为“宗师”,武士必须了解这一点。

      最近很多人都得到了兵法家的称号,但他们中大部分人只是击剑者而已。熊本藩的细川越中守忠利的家臣在梦中得到了神灵的指导,基于在各国云游教授和学习兵法的经验而创建了他的道场,这是兵法的新意。

      在古代兵法中,一共有十种能力和七项技巧是属于合用的修炼。这对击剑当然是有益处的,但这还不够。局限于击剑的技巧是无法窥破剑法的精髓的。

      当我们观察商人的时候,我们会发现商人们使用器具去卖他们的货物。比如果实和花,果实要比鲜花要少。因为商人的教授和学问都只注重鲜艳的色彩和炫耀自己的手段,尽全力去催促花尽快开放,他们关心利润。有人说“不成熟的策略乃是顿挫之源,”是的很有道理。

      人生在世有四种活法,即所谓“士农工商”。

      第一种是农夫之道,他使用农具,用眼睛去观察春秋的更替,季节的变化。

      第二种是商人,酿酒师收集原料然后酿造成酒以维持生计。商人的生活风格就是无时不在谋取利益。这是商人之道。

      第三种是贵族武士,他的生活之道就是挥舞武器。武士之道就在于主宰他手中武器的力量。

      第四种是匠人。木匠之道是变成使用木工器具的达人,首先保证他的计划无误,然后按照计划行事,就这样度过他的一生。

      这就是“士农工商”的生活之道。


      评判木匠的作品是和房子联系到一起的。贵族的房子、武士的房子、四民的房子、房子的废墟、房子的重建、房子的风格、房子的习俗和房子的名字。木匠完全按照事先拟订的计划来建设。兵法也是一样,有一个战役的计划。如果你想去学习战争的艺术,就需仔细考量这卷书。教师就好比是一根针,而训练则是一根线,你必须不停地练习。

      作为领导木匠们的工头,必须知道自然的规律、国家的法规、房屋的规格。这就是工头之道。

      工头必须熟悉塔与庙宇的建筑理论,宫殿的建设计划,和如何雇佣劳力来建设房屋。工头之道其实和大将之道是一样的。

      在建造房屋的过程中,木料的选择非常重要。笔直无节疤,且外形美观的木材用来做外殿的柱子;笔直但有一点点点瑕疵的木料用来做内殿的柱子;外表最美观的木料,即使硬度有一点点差也没关系,用来做门槛、横梁、门、拉门等等。坚固的木料即使存在木瘤和节疤也一样可以在建设中得到应用。那种品质差的木料则只能用来搭手脚架,然后拆掉做柴火。

      工头根据各个不同的能力分配工作,比如地板的铺设、拉门的安装、横梁的吊装等。能力不够好的人去装托梁,更差一点的人去削楔子或者类似的杂活。如果工头部署得当,工作将会完成地更为出色。

      工头应该经常深入到工人们之中,不提出无稽的要求。他应该了解他们中的道德准则和精神,在适当的时候鼓励他们。这和兵法的原则是一样的。


      就象士兵一样,木匠会磨砺他自己的工具。他将工具放在他的工具箱中,在工头的直接领导下工作。他用斧子制作柱子和房梁,用刨子去制作地板和书架,对雕透细工精雕细琢,尽他能力所能达到的极限去完成工作。这就是木匠的艺术。当木匠技术日渐成熟之后他就会升迁为工头。
      木匠的成就就在于他的作品完全忠于设计图纸,既没扭曲偏差,也没偷工减料。这对于木匠来说是非常必要的。

      如果你想学习此道,你就必须深刻地理解和思考这本书里所说的事情,做深入细致的研究。

    【日语网络版注】

      武蔵が批判していのは、自分で分からないもの、自分で力の及ばないものを、悩まず”神明”にすがる人間の弱さである。人間の弱さを前提にして道場が作られる。(常陸国鹿島や香取の社人の権威を借りる)新当流有間喜兵衛が作ろうとした道場組織巌流佐々木小次郎が作りあげつつあった道場組織京の吉岡一門の出来あがった道場組織開祖、師範代、古い門弟、アゴの立つ門弟、渡世の上手い門弟この組織は(ピラミッド)入門順や処世術等の要素でランキングされる。こうした組織でも、ましな方剣術を磨き合いながら、『精一杯やった』と慰め合い、『これぐらいでいいだろう』と許し合う。大方の組織は自浄作用を失って行き、許しあった欠点の部分が蓄積して、機能不全に陥る。ひどい組織は、剣術の鍛錬はどこかに追いやり、群れていることを重視し、組織である事をパワーとして、他を圧する。道場という組織をつくってしまう剣の道を修練する場は、寄りかかり合い、許し合う場(ば)となり,『兵法の実の道』を収めることによって、あらゆるものを見抜く真実の目を養う場、培う場とはなりえない。武蔵は成長の過程で、こうした人の群れ、組織の欺瞞,不条理、許し得ない風習を見ながら、また迫害を受けながら育ち、対抗して、打ち破って生きた。1人生き抜くことで、その組織の欠点を認識し、本当の組織を夢見続けた。(恐らく一国の領主になり、理想の組織を作ろうと夢見たであろう)『枯木鳴鵙図』等、一つの枯れ枝、一羽のモズが世間に対峙している構図が多い。